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第2期1975-1990

免許と競技
 ◆小型船舶操縦士試験機関 ◆熱海オーシャンカップパワーボートレース ◆国際大会
 ◆水上スキー競技
 ◆パワーボート競技 ◆ジェットスポーツ ◆ソーラー&人力ボート

「小型船舶操縦士試験機関」として小型船舶の免許制度の普及、秩序ある海洋レクリエーションの発展を目指していた運輸省は、1965(昭和40)年から小型船舶操縦士の実技講習に力をいれていた当財団に対し、モーターボートを中心とする小型船の運航、安全指導についての豊富な経験を持つ団体であるとして、1970(昭和45)9月の運輸省令の改正にともなう「小型船舶操縦士第一種養成施設」の指定をしました。
 これを受けて、財団は本栖教習所(山梨県)を皮切りに各地に養成施設を開設し、最盛期には毎年約45千人の修了者を出すとともに、約800人の実技教員をかかえ、地方事務所を開設するなど規模を拡大していきました。

その後、1974(昭和49)226日の船舶職員法の一部改正にともなう指定試験機関制度が発足し、これまでの実績と意欲により、運輸大臣が指定する「小型船舶操縦士試験機関」の指定を受け、全国10ヶ所に地方事務所を開設し、国に代わって小型船舶操縦士の試験を開始しました。

1983(昭和58)年には、世界的な海難事故防止のためのSTCW 条約の批准に伴い、海技免許の更新制度が導入され、併せて講習機関の指定を受けて講習を開始するとともに、ハーバーマスター研修会の開催を通して制度の周知に努めました。

1991(平成3)7月、当財団はマリンスポーツ財団と名称を変更し、小型船舶操縦士に係る業務は、国の指導も含めて新たに誕生した日本海洋レジャー安全・振興協会に移管することとなり、この間175ヶ月余で、小型船舶操縦士試験機関の業務は終止符を打ちました。

小型船舶操縦士第一種養成施設 ー大阪教習所ー
「小型船舶操縦士海技従事者国家試験」学科試験風景

 

海洋活動に活躍した「鯱」のこと
 小型船舶操縦士試験機関の指定を受けて、試験を実施するにあたり一・二・三級の実技試験には20 トン未満の船舶(排水型、ディーゼル機関、一軸右回り、所要の航海計器)が使用されることとなり、専用のものを建造しようということで誕生したのが“鯱”です。
 鯱は、1 号から鯱13 号まで、欠番を除いて11隻が財団の船舶として活動してきましたが、特に関東に配備された2 隻については、試験以外にも1998(平成10)年までの間、海事思想・知識の普及活動に多く使用されました。

普及活動例 
  ・全モ連や各地モーターボート競走会の海洋訓練
  ・ボートショーで募集した家族やカップルを乗せての三浦半島グルメクルージング
  ・マスコミ関係者による相模湾観察クルージング
  ・夏休みに逗子や葉山、伊香保の子供達を乗せて、海洋環境の啓蒙のための航海
  ・横須賀海上保安部に協力した海上安全指導パトロール
  ・日本舟艇工業会主催の太平洋1000 キロラリーのポイント艇
  ・船の科学館が行う親水事業“ワールド・シー・ワールド”での東京港クルージング
  ・熱海オーシャンカップパワーボートレースや横須賀グランプリなどの救助艇等
  ・東京商船大学の小型船舶教習艇としての貸し出し等

鯱2号型(鯱2号、3号、4号、5号、6号)
メーカー:ニュージャパンマリン
推進形式:ダイレクトドライブ
建造年度:昭和48年度
鯱7号
メーカー:ニュージャパンマリン
推進形式:Vドライブ
建造年度:昭和50年度
鯱8号
メーカー:スピリアボート(ヤナセ)
推進形式:Vドライブ
建造年度:昭和51年度
鯱9号
メーカー:ヤマハオリジナル
推進形式:Vドライブ
建造年度:昭和52年度


熱海オーシャンカップパワーボートレース

 1968(昭和43)年に第1 回が開催され1995(平成7)年第28 回大会(途中1989(平成元)年は、伊東沖海底火山噴火のため中止)まで27回開催された本大会は、日本のオフショアレース界を常に牽引した大会でした。
 安全対策面では、下田海上保安部からの巡視船の派遣、全モ連、熱海モーターボート・水上スキー協会、湘南海上安全協会からの救助艇の派遣、日本赤十字社からの無線救急隊、海上保安庁の特殊救難隊の派遣、海上自衛隊横須賀水中処分隊の派遣、熱海警察署の監視艇の派遣、救急ヘリ、レスキユーダイバーの配置など。常に最先端を行っていました。
 また、初めてU.I.M.(国際モーターボート連盟)ルールを採用し、小型船舶安全規則の施行にともなう新しいレース艇の登録制度の導入なども行いました。
 また、外国からも有名な選手が参加しており、第5 回のバーシー・トレロ選手(スウェーデン)は小型艇、ロッキー青木選手は大型艇を啓発するとともに我が国に本格的なオフショア時代招致のきっかけを作ってくれ、ハロルド・スミス選手やボブ・アイドニー選手はオフショア艇のドライビングテクニックの啓発をしてくれました。
 ボートも最盛期には、バートラム 38、アパッチ47、クーガー45、シガレット42、ミラノ37、ジェシージェームズ36、ジャガー35、スーパーハワイ38、ゲイナー40 などが出場し、日本財団の助成事業として、参加延べ総隻数 2245隻(1 回平均83 隻)、直接参加大会役員約1 万人の実績を残しました。
 しかし、水面状況、会場スペース、経済的な状況、安全対策等の問題から1995(平成7)年をもって幕を閉じました。

第一回熱海オーシャンカップレース
1968(昭和43)年7月14日開催
Aコース:熱海〜初島間10往復 200km
湾内Bコース:4点マーク周回 10km(1周2km×5周)
参加艇:68隻
参加選手:100名 
全日本オフショアグランプリ
第25回熱海オーシャンカップパワーボートレース
1992(平成4)年8月1日開催
Aコース OFF OPEN1位(総合優勝)
細谷公敏(チームK)、杉原豊(S・G・Iレーシング)艇

 

国際大会
 1970(昭和45)年に始めて海外のモーターボートレースに参加して以来、ボートのハイドロ、オフショア、フオーミュラの3 種目、水上スキー、ジェットスポーツのフリースタイル及びクローズド等々今日まで海外あるいは国内での国際大会に多くの日本選手が参加していますが、初参加当時これほど国際大会が身近なものになろうとは誰が予想できたでしょうか。当初は「遠征」という言葉があてはまり、何か悲壮感溢れる雰囲気がありました。
 ハイドロのレースでは当初は散々な成績でしたが、1971(昭和46)年プレジデントカップ(西ドイツ)での日吉昭博選手やチェコ国際レース(チェコ)での浅見敏夫選手の優勝など、賞杯を手中に収めるごとに日本(軽量級)バッシングが始まり、日本人のような軽量級ドライバーにはウェイトを必要とするルールが採用されました。
 水上スキーでは、2008(平成20)年アジア・オーストラリア大会において廣澤沙綾選手が女子個人総合優勝を手にしていますが、今もって世界のレベルは遠く、ワールドゲームズが開催された秋田大潟村や大分耶馬渓、千葉小見川などの素晴らしい水面の活用が今後発展の鍵と思われます。
 ジェットスポーツについては、毎年アメリカで開催されるワールドファイナルを目標としている選手が数多く、尾澤聖子、渡部文一、小原聡将選手に続く世界チャンピオンの誕生が楽しみです。

第二回国際レース
1971(昭和46)年5月31日から7月5日までにわたりヨーロッパ各地を転戦し、優勝2回を含む戦績 を残した。
■6月20日 西ドイツ(トラベントラバッハ)
  プレジデントカップレース 日吉昭博選手(完全優勝)
■6月27日 チェコ(ビゼック)
  チェコ国際レース 浅見敏夫選手(総合優勝)
           日吉昭博選手(総合2位)


水上スキー競技

 日本水上スキー連盟(当初名:全日本水上スキー連盟)は、1955(昭和30)年71日に創立され(発会式826日)、その年の最大イベントである全日本水上スキー選手権大会の第1回大会を、1995(昭和30)年東京都多摩川競艇場で開催以来、2012(平成24)年大分県耶馬溪アクアパークで第58回大会を迎えました。
 全日本水上スキー選手権大会は、社会人を対象に、その年の水上スキー日本一を決めるもので、男子と女子の総合優勝者(現在はスラローム・トリック・ジャンプの3種目合計の成績が最も優れた選手)にチャンピオンの称号と桂宮賜杯(1996年、平成8年第42回大会までは秩父宮妃賜杯)が授与されています。
 当初のクラスは、男子及び女子のみでしたが、1994年(平成6年)第40回大会からシニア及びジュニアクラスが加わり、1999(平成11)年第45回大会からシニアI、II及びジュニアI、IIと細分化されました。種目は、当初スラロームとトリックの2種目でしたが、 ジャンプ競技が、1958(昭和33)年第4回大会から男子に、1962(昭和37)年第8回大会から女子にも取り入れられ、現在の3種目による総合成績によりチャンピオンが競われるようになりました。
 

スラローム
水面に設置したコースブイの中を直進するボートに引かれ、選手は、ブイの外側を回っていく。
片道6個のブイをクリアする度に、ボートスピードを上げたりロープを短くしたりして、条件を厳しくし、選手がクリアしたブイの数を競います。
トリック
アイススケートのフィギュアに似た競技で、競技コースを1往復し、片道20秒ずつの中で選手は回転したり、自分のロープをまたいだり(ボディーオーバー)する演技を行って得点を競います。フリップ(宙返り)やトーホールドステップオーバー(ロープを足にかけて滑り、そのロープを飛び越しながら回転する)などの困難な演技ほど得点が高く、成功した演技の合計点で競います。
ジャンプ
ジャンプは、ただひたすら飛ぶのみ!!
水上スキーの演技の中で最も迫力あるジャンプは、ボートに曳航された選手が水上に浮かべられたジャンプ台を使ってジャンプを行い、その飛距離を競います。

パワーボート競技
 フオーミュラ・オフショア・ジェットボートレースボートレースには、主としてハイドロ、フォーミュラ、X、オフショアのシリーズがあり、それぞれに発展してきました。
 その中でフオーミュラシリーズのF550 クラスは、初心者向けで、一時期西日本シリーズなども行われて賑わい、女性ドライバーも多く参加し、優秀な成績を収め普及に寄与しました。
 1976(昭和51)年ごろ、トンネルボートとして研究されはじめ、次いでSTC ワンデザインとして普及、1987(昭和62)年にはF550となり、同時にF850 も誕生、さらに上級のクラスとしてO2000 をベースにしたものが1992(平成4)F3000 として登場。日本のフオーミュラシリーズとして現在まで続いています。
 F3000 は、時速200km 近くで走り、鋭い角度で旋回し、しかも観客の目の前でレースが展開されるので、見る者に深い感銘を与えています。このフォーミュラシリーズがボートレースの普及に寄与している部分は大きいと思われます。
 一方、ボートレースの迫力に魅せられた各地の連盟は、幾多のオフショアレースを実施してきました。勝山グランプリ、銚子グランプリ、三河湾エメラルドカップ、小豆島オリーブカップ、土佐ベイカップ、天草パールカップ、阿波ブルーカップ、木曽川グランプリ、芦ノ湖グリーンカップ、横須賀パワーボートグランプリ、そして西日本最大の瀬戸内ローズカップなど。
 特に瀬戸内ローズカップは2000(平成12)年の13 回大会まで続き、多くの関係者の努力と熱意で幾多のドラマを作ってきました。しかしながら,オフショアレースの開催には、主催者は莫大な経費と人力を用意しなければならず、現在の経済状況では多くの競技会を開催することは困難な状況となっています。

K400
船型:ハイドロプレーン
全長:約2.8m
エンジン:排気量400cc以下/32ps
時速:80km/h
OSY400
船型:ハイドロプレーン
全長:約3.5m
エンジン:排気量400cc/32ps
時速:100km/h
F550
船型:カタマラン
全長:約4m
エンジン:排気量550cc以下/60ps
時速:100km/h
F850
船型:カタマラン
全長:3.9m以上
エンジン:排気量850cc以下
時速:
F3000
船型:カタマラン
全長:約5.5m
エンジン:排気量3000cc以下/250ps
時速:220km/h
V3000
船型:ランナバウト
全長:約6.5m
エンジン:排気量3000cc以下/200ps
時速:130km/h
OFFオープン
船型:ランナバウトまたはカタマラン
全長:約12m
エンジン:排気量16、387cc以下/1、700ps
(ガソリンエンジン2基以上のもの)
時速:180km/h

ジェットスポーツ
 1993(平成5)年、前年に発足した日本ジェットスポーツ連盟と共催で、浜名湖競艇場を利用して、メーカーや機種にとらわれず参加できるジェットグランプリシリーズを開始。
 時代の要請とともに、水上オートバイ利用者が増大してくるとともに、ジェットのレースに参加する競技者も増え、またクラスも多くなり、1999(平成11)年からはフリースタイルも一つのグループとして確立されました。

 ゲレンデにはチームテントがならび、バーナーやフラッグがはためき、マリンスポーツならではの賑やかさがあります。また、成績優秀選手には、IJSBA(国際ジェットスポーツ協会)が開催する世界選手権への道が開かれています。

ランナバウトディビジョン
ハンドルが固定されていてシート据付式のマシンをライダーが座って運転するクラス。
クローズドコースでは、複数の競技艇が左右のターンを行うコースを周回し、着順を競います。
スラロームでは、1隻の競技艇が左右のターンを行うコースを走行し、タイムを競います。
スポーツディビジョン
ハンドルが上下に可動するマシンをライダーが立ったまま運転するクラス。
フリースタイル
2分間の競技時間内に演技を行い、技能と芸術度を競います。

ソーラー&人力ボート
 地球温暖化や環境汚染等の環境問題、エネルギー問題がクローズアップされ始めたころ、ボートの分野でも、太陽エネルギーを利用した「ソーラーボート」、人間の力を利用した「人力ボート」がマニアの方や専門分野の方に試作、研究され始めていました。
 そして、1994(平成6)年、浜名湖ソーラー協会や日本財団が実施してきた夢の船コンテストの人力部門が母体となって、日本ソーラー・人力ボート協会が財団の指導により発足し、競技会を通して、クリーンエネルギーの船舶の発展をはかることとなりました。
 1999(平成11)年からは、ソーラーと人力エネルギーを併用したハイブリッド艇も参加し、毎年「ソーラー&人力ボート全日本選手権大会」として開催されています。

ソーラーボート
太陽電池と12Vのバッテリー(4個)のエネルギーを利用し、太陽電池の発電量により480Wと100Wクラスに分類されます。ボートの大きさは、全長6m、全幅3m、高さ3.5m(水面下2m)以内で自由です。(100Wクラスは水中翼禁止)。
エネルギーを有効利用するため、駆動系や船体にさまざまな工夫をして競います。
人力ボート
1名または2名の人力(脚力、腕力)をエネルギーとし、ボートは全長6m、全幅3m、高さ3.5m(水面下2m)以下で、船底が水面から離れる構造の水中翼艇クラスと、それ以外の排水型艇クラスがあります。
ハイブリットボート
1名の人力と、太陽電池による100Wクラスのソーラーエネルギーを併用したもので、ボートサイズの制限はソーラーボートと人力ボートと同じです。
人力とソーラーエネルギーをいかにうまく組み合わせるかがポイント、全て排水型で水中翼は使えません。
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